『最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』を読んだ

「強い正直な日本人になってくれ。将来の日本を担ってほしい。兄弟どうし、互いに協力しあい、全力を尽くしてお母さんを助けてあげてくれ。」
「これまで過ごした年月に対し、君になんと礼を言えばいいのかわからない。体を大切にして、末永く充実した人生を送ってほしい。」
「節子の肌、恋し」
「札幌の家族はどうしているだろうか。」


子供に仲良くやれという手紙、妻への感謝の言葉、恋人への思い、家族のことを思う言葉、現在でもそのような言葉は手紙ではなくとも電話やメールで飛び交っている。上の言葉は戦地で書かれた文章だと知らなくとも心打たれる。
そういった言葉が戦地にたくさんあった。戦地で死と隣り合わせの日々を送る中必死に書いた言葉があった。普通の日々を過ごしているのに自分のことしか考えない自分が恥ずかしくなった。
現代と変わらない様々な人への思いが綴られた手紙が現代と違うのは「届かなかった」こと。
万歳をされ故郷の英雄として日本を離れ、お国のために戦うと教育されてきた人でも「心の底の眞をいへば恐しい。」と綴った戦争。22歳や23歳で出兵し、海外の島で飢えと疾病に苦しみ命を失った人がいる戦争。
「戦争は、悲しい」と届かなかった手紙に綴られている。作中で紹介されている多くの届かなかった手紙には、自分が大切に思う人への思いが非常に強く書かれていた。いつ死ぬかわからない戦場で、日記を書く精神的な余裕もないような戦場で、家族、妻、子供、恋人、親、友人へ自分の思いを書いている。そんな状況でも相手へ伝えたいという思い・言葉があったことに胸が打たれた。生きたかったと思う。どれほど生きたかったのか、どれほど家に帰りたかったのかと思うと涙が出てきた。妻に子供に会う、親に会う、恋人に会う、思い焦がれた人に会う、「ただいま」と言えて「おかえり」と言われる、そんな当たり前の光景をどれほど望んでいたのか。
ドキュメンタリー番組として届かなかった手紙を遺族に届ける場面も書かれているが、遺族の困惑や信じられないといった様子があり、約60年という時の長さを感じる。
「家に帰りたい。もう戦争は嫌になって、弟たち、お父さんのところへ帰りたい。お母さんやお父さんがどんなに心配していることでしょう。それを思うと胸が張り裂けるように苦しい」と届かなかった手紙に書かれている。
自分は戦争を知らない。親も戦争を体験していない。祖父や祖母と家は違うので戦争の話はあまり聞いたことがない。それでも「戦争は絶対にしてはいけない」と思う。教科書どおりの言葉かもしれないけれど、自分なりに感じ考えた結果の思いがこれになる。この本の感想はうまく書けないけれど、「戦争はいけない」ということは強く言いたい。
戦争を知らない自分が戦争の悲惨さを伝えるとき、この一冊を挙げたい。


最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙 (講談社文庫)

最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙 (講談社文庫)