いろんな風呂入りたい

よくたとえで「○○風呂に入りたい」というのを使うけど、全く伝わらなくて悲しい。
ラソン走って筋肉痛ひどい時は「バンテリン風呂に入りたい!」と言うし、ほやとか好きな食べ物思いっきり堪能したい時は「ほや風呂入りたい!」と言うけど、さっぱり伝わらないみたい。この前は妻に初詣の屋台で食べておいしかったので「肉巻きもちもち棒風呂に入りたい!」と言ったけど「はぁ?」だった。


目一杯味わいたい、浸かるほど欲しているというのを風呂に浸かるのとたとえているけど、全然伝わらない。壊れるほどたとえても1/3も伝わらなくて純情な感情は空回りしている。
なぜだ、なぜ風呂浸かりたとえが伝わらない。それでも個人的にはこれほど強く伝えられるたとえはないと思っているのでこれからも使い続けるぞ!
疲れた時は「エスカップ風呂」に入りたいし、ガリが好きなので「ガリ風呂」に入りたいけど、みんなは思わないのだろうか?