人の死に関する衝撃的なニュースの多い日だった。人はいつか死ぬ、死んだら終わり。悲しいかな死んだらいつかは忘れられるし消えていく。
死んだら終わり、だから決して自分から死を選ぶべきではないと思う。あの世があるなんてわからない。もしかしたら死後の世界は死ぬ直前の何万倍も痛く苦しく辛くて、それが永遠に続くのかもしれない。
誰もわからない。だから死んで楽になるなんて決して言えないと思う。「死んだほうがマシ」という言葉があるが、誰にもわからないし必ずしもそうとは限らない。
自ら命を絶つなんてことは個人的には絶対にしたくないし、普通にまっとうに生活している人にしてほしくない。産みの親はもちろん、数多くの人に助けて支えられて生まれてきた一度きりのものを一瞬で失うのはもったいなさすぎる。結局無責任なことを言うかもしれないけれど、「人間生きていればいつかいいことある」と思う。そう思うしかない。死ぬまで、死ぬほど生きないと。


ただ、こいつは自分の命で償わなければならない。

遺体「強姦」は死者復活の儀式 弁護団が「失笑」ものの新主張 山口県光市母子殺害事件

>主婦を殺害した後、「強姦」したのは、「死者を復活させるための儀式だった」。こんなとんでもない主張を、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審弁護団がした。
>被告は、自分が中学1年のときに自殺した母への人恋しさから被害者に抱きついた。甘えてじゃれようとしたので強姦目的ではない。騒がれたために口をふさごうとしたら誤って首を押さえ窒息死させた。
>死後に遺体を犯した行為は、生をつぎ込み死者を復活させる魔術的な儀式だった。長女は泣きやまないので首にひもをまいてリボンの代わりに蝶々結びにしたら死んでしまった。どちらも殺意はなく、(殺人より罪が軽い)傷害致死罪に当たる。


弁護団共々償ってくれ。それくらい思う。死ぬなと言っておきながらこっちでは死刑にしろと言っているが、たとえ矛盾した意見と言われようとこいつは死刑になってほしい。その魔術的な儀式で本当に復活するのか自分の死刑で実践しろ。こいつをこんなアホな主張で助けようとする弁護団が理解できない。
事件発生当時からニュースや記事で追っているが、あまりにも残酷な事件だ。反省の言葉ではなく遺族を侮辱するような発言を繰り返し、死刑になるかもしれないとわかった途端態度を変えるような奴を生かして何になる。
人間は生きるべきだけれど、ヒトではなくなったモノは生きる必要はない。正当な判決を望む。