ジャイアント馬場

1月31日は馬場さんの七回忌だった。もうそんなに経つのか。
馬場さんが亡くなってすぐには情報が出なかった。亡くなったということを知ったのは次の日、G部氏と新日を見に行った日の帰りだった。
新日を見て満足し、親父に車で体育館に迎えに来てもらった。車に乗ってすぐに親父に「馬場死んだぞ」と言われた。
全日ではなく新日だったが、生のプロレスを見て興奮していた時にいきなりそんなことを言われ、最初はなんのことか理解できなかった。
「嘘だろ?」
「いや、ほんと。さっきテレビでやっていた」
これは本当だ、と思った瞬間観戦後の興奮は消え、呆然とした。言葉が出なかった。
家に帰りニュースステーションを見るとジャイアント馬場死去のニュースが流れた。巨星落つ、プロレス界から偉大な人物がいなくなってしまった。
その日はあまりにもショックで眠れなかった。まだそんなに情報が出ていない状態では何がなんだかわからず、全然気持ちの整理ができなかった。
眠れず、布団の中で小学校の頃全日を見に行って馬場さんのポスターを買ったことを思い出していた。
2階席から売店の人にお金を払ったら、近くにいた馬場さんが立ち上がってポスターとお釣りを渡してくれた。でかかった。立って腕を伸ばしただけで私のいるところまで届いた。なんてでかいんだろうと思った。
試合もした。全試合終了後外に出て選手が出てくるのを待っていた。馬場さんは付き人に支えられながら出てきた。あの時で既に50歳を超えていたから、試合をすること自体すごいことだった。ゆっくりとやや背中を丸めながらバスに向かう馬場さん、遠くから見ていたが、やはり一際でかかった。そんなことを布団の中で思い出していたら涙が出てきた。
次の日学校に行く前にスポーツ新聞を買い、教室でじっくりと読んだ。馬場さんの記事全てを読んで頭の中を整理しようとしたがやはり無理だった。その日もショックが続いた。
それから日が経ち、お別れの会などが行われ、段々と気持ちの整理がついてきた。東京ドームでのジャイアント馬場引退記念興行で、元子夫人がリング中央に馬場さんのリングシューズを置く場面ではまた泣いてしまった。
馬場さんが今も生きていれば、とこれまで何度思ったことか。馬場さんが今も生きているならこれほどまでにプロレス界は混迷、低迷していないと思う。今も元気なら世界の大巨人としてリングに上がっているだろう。
生涯現役を貫いた馬場さん、いつまでも忘れない。