アントニオ猪木に、合掌

アントニオ猪木が亡くなった。ニュースアプリの号外プッシュ通知が表示された時は思わず声が出てしまった。
前から自身のYouTubeチャンネルで体調が良くないのはわかっていた。しかし、それでも、猪木ならこの病も克服してまた元気な姿になって「元気ですかー!」とみんなの前で冗談交じりに話してくれるのではないかと思っていた。


しかし、それは叶わなかった。自分がプロレスを見始めた時は既に猪木ファイナルカウントダウンが始まっており、レスラーとしては晩年、最終章に入っていた。しかし、それでも最初に見たのがベイダー戦で、本当に死んだんじゃないかと思うジャーマンを食らい、そしてあのベイダーの全体重が乗るムーンサルトプレスを受け、そこから反撃した猪木を見て、この人はなんてすごい人なんだと感覚で伝わってきた。最初のインパクトがこれだったので、何があっても強くあるのだと思っていた。
YouTubeやテレビ番組で弱い姿、衰えた姿を見せる猪木に初めは複雑な気持ちだったけど、そういった姿を隠さずに逆に全て見せてしまうのが猪木なのかなと思った。全身全霊でアントニオ猪木でい続けたのだと思う。そしてそれを見ていた者は猪木が弱っていくというよりは、猪木がここからどう盛り返すのか、どう病と闘って勝っていくのかと思っていたと思う。自分もそうだった。


新日本プロレス50周年の年の一番の話題が創設者の死というのもなんだか猪木らしいといえば猪木らしい気もする。「全部オレが持っていったよ、フフフ」と言っているかもしれない。


プロレスを見始めた子どもの頃からずっと大きな存在、時には格闘技ブームでプロレスを振り回したりもした不思議な存在、そして何があろうと強いと思わせた存在、そのアントニオ猪木が亡くなってしまった。猪木がいなかったらプロレスはここまで認知されなかっただろうし、どこかで常に影を背負い続けたものだったかもしれない。
いつかこの日が来るとは思いつつも、アントニオ猪木は絶対にそんなことにはならないとどこかで信じていた。なんだか心がぽかんとしている。
歳を重ねるにつれて「元気があれば何でもできる」という言葉が心の中で膨らんでくる。元気があれば何でもできる、逆に元気じゃないと全てが悪い方向に行く、だから元気でいようと思考や行動を変える、今ではそんな風になっている。


亡くなったというもう時が進まないことに対する空虚さはあるけれど、「元気があれば何でもできる」という未来へのメッセージをしっかりと受け止めて自分はまだ前に進んでいきたい。
アントニオ猪木が亡くなった。