ありふれた時間が愛しく思えたら(Sign風)

離れてわかるありがたさ。
昼食の弁当を作るようになって1年くらい経つが、自分で作っていて改めて実家にいた高校の頃のおふくろの弁当がすごいと思った。
どんな日も毎朝弁当を作って渡してくれた。のぎい日もさびい日も作ってくれた。さも当然のようにおにぎりと細々とおかずを詰めた弁当を渡してくれた。
今自分で作っているとわかる。こんな毎日のことがとても大変だったということが。ちょっと寝不足だったり目覚めが悪い時は「作りたくないなあ」「今日は外で弁当買っちゃおうか」と思ってしまう。いざ作っても冷凍食品でごまかすような簡単な弁当でも結構時間がかかってしまう。おかずを増やすとなると寝ぼけまなこがしゃきっとするくらい立っていて時間が経つ。
同じような大きさの弁当箱のはずなのにおふくろが作ってくれたようなおかず複数ぎっしりが作れない。あの空間をどうやって作っていたんだろう。はっきりと毎日の内容までは覚えていないけれど毎日飽きないようなおかず構成。
おふくろは毎朝弁当作るのが面倒だったり作りたくないと思ったりしなかったのだろうか。思っていても作ってくれていたのだろうか。
あの頃の自分に「お前毎日最高に幸せなことしてもらっているんだぞ」と言ってやりたい。そして自分と一緒におふくろに頭下げてありがとうと言いたい。
自分でやってわかる大変さ。
離れてわかるありがたさ。