難しいことはわからんからまず飲もう

今日はお駄賃日。家計簿をまとめて整理すると今月分で使った額はいただいた分の半分以下だった。支出トップ3は仕送り、奨学金返済、食費と今月も不動の順だった。生活費じゃないっちゃあない1、2位を除くといただいた分のだいたい1/4くらいだった。学生時代と同じ金銭感覚なら普通に暮らせるなと思った。
お駄賃日恒例のご褒美で生ビール。普段はドラフトワン、お駄賃日だけは豪華に黒ラベル。男は黙ってサッポロビール。うまぁぁぁい!!!頭の先から全身に伝わるこの震えと痺れが来るうまさ!!!
お駄賃をいただけるのは非常に嬉しいことだが、はたして自分はそのお駄賃分奉公できているのだろうかと思う。たとえお駄賃分奉公できていたとしても、お駄賃分ではプラスマイナス0で奉公先にとって利益にはなっていない。お駄賃分より大きな奉公をしないと奉公先にとっての利益にはならない。いただいた分以上の奉公ができないとそれこそお駄賃泥棒だ。
自分はお駄賃に見合うだけ奉公できているだろうか。だらだらとやらずに少ない時間できちんと良い結果を出す、早く出せたらさらに良いもの、新しいアイデアを入れられるようにしているだろうか。そもそもお駄賃のために働いているわけではないので、何のために働いているのか、これから何のために働いていくのかをしっかりと持っていかないといけない。何のために、と言われると即答でまあ楽しからなあと思ってしまう。自分の好きなことするために選んだわけだし、わからないことがわかっていって自分の知識やスキルが増えていくのが面白い。自分のためにやっているようなものか。その結果が少しでも世の中が楽しくなることに貢献できたらいいなあと思ったりなんだりかんだり。
奉公していてうまくいったりちと褒められたりしたときに思い浮かぶのは武者小路実篤の「自分でも何かのお役に立つのだ。このことは喜びである。この喜びは自分の一生が無意味でないことを示している。このことを幸福に感じるのである。」という言葉。この、自分でも何かのお役に立つ、ということが実感できると複雑なことや大変なことも吹っ飛ぶ。どんな小さなことでも「自分でも何かのお役に立つのだ」と思えることがあると、おっしゃ明日も頑張ろうと思える。自分でも何かのお役に立つ、と思えると、自分の一生が無意味でないと実感できる。一生という重くもう次はないものが、意味のあるものだと思える「自分でも何かのお役に立つ」ということは本当に素晴らしいことだと思う。よくよく考えるとお駄賃でもなく楽しみでもなく、この「自分でも何かのお役に立つのだ」と思えること、そう認めてもらえることのために働いているのかもしれない。
働く、とは何か。う〜ん、難しい。アホだから難しいこと考えるのは苦手だ。まっ、いいか、今日はお駄賃日だからそういうのは関係なく楽しもう。お駄賃日ということで黒ラベル本数を運転免許よろしく限定解除し、さらに山田錦をガブガブと燃料にして加速している。月曜なのにもう飲んだくれている。こんなのでいいのだろうか。でも楽しいからいいや。アルコールが入ると楽しくなるこの安くて単純な、究極のアナログ回路。難しいことわかんないし関係ない。関係ないから〜関係ないから〜(今週後編で判決が決まるコソ泥疑惑芸人風)