私腹であり至福の時

純米酒の新政さんと山田錦さんを頂戴しながらゆっくりと音楽を聴く。酒を飲みながら音楽、胸が高鳴り、心震える、この時間がたまらなく贅沢に感じる。
サザンは文句なしの一番で常に聴くが、それ以外にももちろん聴く。最近の方だとBase Ball Bearチャットモンチー諫山実生YUIサンボマスターをよく聴く。それぞれその日の気分で変わるが、結構聴いている。
しかしこの頃は昔の方のほうに感情が向いてよく聴いてしまう。
ザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」(♪悲〜しく〜て悲しくて〜とて〜もや〜り〜きれない〜)、「あの素晴らしい愛をもう一度」(♪あのとき〜同じ花を見て美しいと言った二人〜の心〜と心〜が〜今はもう通わない)、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」(♪ため〜息の出るような)、ザ・ワイルド・ワンズの「想い出の渚」(♪君〜を見つけた〜この渚に)、八神純子の「みずいろの雨」(あ〜みずいろの雨〜)、美輪さんver. or 桑田さんver.の「ヨイトマケの唄」(♪今〜も聞こえる〜ヨイトマケの唄〜)、堺正章の「さらば恋人」(♪さよならと書いた〜手紙〜テーブルの上に置い〜た〜よ〜)、ベッツィ&クリス の「白い色は恋人の色」(♪花〜びらの白い色は〜恋人の色〜)、加山雄三の「君といつまでも」(♪二人を〜夕闇が〜つ〜つむ〜)、越路吹雪の「愛の賛歌」(♪あなたの燃える手で〜私を抱きしめて〜)、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(♪恋人よ〜僕は旅立〜つ〜)、古内東子の「誰より好きなのに」(♪優しくされると〜切〜なくなる)などなどを繰り返し聴くことがあるが、どれもたまらなく心震わせる。
「誰より好きなのに」以外は全て生まれる前に出た曲だが、どれも今聴いても素晴らしい。何度聴いても飽きることがなく聴くたびに感情が揺さぶられる。こういう曲に出会え聴けることに感謝してしまう。
越路吹雪は他の曲も好きで、サザンと同じくデビュー当時からの同じ時を過ごしたかったと思う歌手の一人。
木綿のハンカチーフ」は聴けば聴くほど切なくなり深読みできる曲。一番から男性と女性の気持ちの違いが出ているんだよなあ。女性は欲しい物はない、贈り物もいらない、常にただ一つ男性への思いを抱いているのに。男性はどんどん離れていってしまっている。一番で女性が危惧している都会の絵の具にどんどん染まっていってしまっている。それなのに彼女は三番で「木枯らしのビル街 体に気をつけてね」とどんどん離れていく男性をまだ気づかっている。男性はなんてバカなんだろうと思う。しかし、見方を変えると男性は、遠距離になる女性にプレゼントや自分のしっかりやっている姿を見せようとしているとも考えられる。最後の四番で「恋人よ君を忘れて変わってく僕を許して」と最後まで女性を「恋人」と呼び自分が「変わってく」と気づいている。ただ、わかっているのにもう戻れない自分にも気づいていて、それらを全て含めて「僕を許して」と言っている。そう考えると男性の心情もわからないではない。それでもやっぱり一番響くのは女性の思い。「君への贈り物」「都会で流行りの指輪」「見間違うようなスーツ着た僕の写真」も欲しがらず、ただ男性が変わらず帰ってくることだけを思っていた女性が最後に「あなた最後のわがまま贈り物をねだるわ」と言ってねだったものが「涙拭く木綿のハンカチーフください」というのが悲しすぎる。何もねだっていないのに「最後のわがまま」と自分のせいにする女性。ねだったものがハンカチーフで、その理由が「涙拭く」ためというのがたまらなく悲しい。そしてこんな悲しいストーリーの歌詞がアップテンポの曲というのが心をしめつける。まるで女性が最後まで男性を思って見せなかった気持ちのように、アップテンポの曲が悲しみを隠しているように思える。この曲は何度聴いてもいろいろと深読みしてしまう。椎名林檎ver.の「木綿のハンカチーフ」も聴くが、こちらはあっけらかんとした感じで現代風の曲調ながらもその曲の芯はしっかりと捉えられていてこれまたいい。
これらの曲をVOCALISTみたいな感じのカバーアルバムで桑田さんが出したら絶対買うなあ。そして一曲毎に泣いちゃうだろうなあ。歌謡曲の素晴らしさを知っている桑田さんだからこそ出してほしいなあ。
新政さんがなくなり山田錦さんを楽しみながらこれらの曲をまた聴く。本当にいい時間が流れている。