『カシオペアの丘で』を読んだ

読んでよかった。心の底からそう思った作品。
シュンとトシとミッチョとユウちゃん、小学校四年生の4人が夜空を眺め、その丘の名前をカシオペアの丘と名付けたところから始まる。
読むしかない作品。読んだ感想が言葉にできない。読了した人だけがわかる、その人だけの言葉にできない気持ちが全て、そんな作品だった。だからこの本は他人に薦めようとしてもうまく言えない。
上巻下巻にわかれている通り長いが、いろいろな人のいろいろな場面を書いてあり、それら全てが終盤に収斂して効いてくる。「命」と「許し」、どちらかといえば「許し」のほうに重きを置いた作品。川原さんの言葉を借りれば「ゆるしを乞うっていうのは、こんなにも悲しいものなんですか……。」
「第十一章 夜空」でアニメの主題歌を大きな声で歌いながら走ってコテージに帰って母親に抱きついた時の哲生君の姿、「第十六章 楽園」の終わりから「第十七章 星に願いを」にかけては涙が止まらなかった。本当は泣いてはいけないのだと思う。自分自身やこれから訪れるであろう出来事に対して皆必死に向き合おうとしているのだから、泣いてはいけないのだと思う。そうなのだけれど、涙が止まらなかった。小説を読みながらここまで泣いたのは同じ重松清作品の『その日のまえに』以来だった。
現実を受け止め小学生ながらも大人になっていく哲生君や、90歳を超え意識が幻の世界に行っているのに終盤その心の内が伝わってくる倉田千太郎。そして子供の頃も、大人になっても周りを気遣いバカして場を和ませようとするユウちゃん。トシ、シュン、ミッチョ以外の人もしっかり書かれていて、彼らが重要になっている。
感動ではない、かといって悲しみでもない涙が流れた。許す、許されたい、許してほしい、許したくない、許せない、自分を許す、相手を許す―「許し」とは。
死や辛い出来事があるけれど、それでも肯定と進むことを書いて終えたことに重松清の優しさが見える。
今年読んだ小説の中で一番良い作品だった。うまく言えないけれど、とにかく読んでほしい作品。

カシオペアの丘で(上)

カシオペアの丘で(上)

カシオペアの丘で(下)

カシオペアの丘で(下)