『邪魅の雫』を読んだ

なぁがぁい。ノベルスで817ページ。300ページくらいまで読まないと左手親指と右手親指の力の担当領域が合わず持っているのが辛い。ノベルスでこのページ数だと文庫では1300ページ超えるような気がする。そうなると『鉄鼠』『絡新婦』並みの量になる。とにかく長い、厚い。
厚いだけあって事件、登場人物ともに深く書かれている。
事件は非常に複雑かつ渾沌としていて、京極堂の憑物落としが終わり読了した後に「あれがこうなって、それであっちがこうで・・・」と頭の中を整理するのが大変だった。そこが今回の話のミソでもあるのだけれど。
登場人物の心理描写が書かれすぎているのがやや冗長に感じた。確かにそれぞれの「邪な」部分を書かないとこの話の面白さは出てこないのだけれど、ここが書かれすぎているせいか最後の憑物落としの驚きが減ってしまう。それでもミソの部分があるので驚きがないわけではない。
相次いで起こる毒殺とそれぞれの関係性が見えない被害者たち。本当に連続殺人事件なのか、それとも実は独立した事件なのか、と読んでいて混乱してしまった。
全体的には『絡新婦』のうまくいかないバージョンのように感じた。「邪な」ところが非常によく効いて『絡新婦』のように見えてまた別の話。非常に長い話だけれど今回は京極堂のいつもの妖怪講釈がほとんどなかった。ここはちょっと残念。毎回楽しみにしていたのに。
そして今回もう一つ違うといえば榎木津の様子。いつもの榎さんらしさが見られない。『陰摩羅鬼』で視力を失った時でさえもいつもの調子だったのに今回はほとんど反応しないし動かない。その理由が憑物落としの場面でわかるとなんともやりきれない思いになる。しかし最後の最後の榎木津流の憑物落とし、粉砕の科白で復活を感じた。そしてそれは『邪魅』の後の設定の『百器徒然袋――風』で行動として現れている。
姑獲鳥の夏』から『邪魅の雫』、それに番外編の『百鬼夜行――陰』『百器徒然袋――雨』『百器徒然袋――風』『今昔続百鬼――雲』とようやく京極堂シリーズを全て読んだ。『今昔続百鬼――雲』は年代がやや外れているからスタートを『姑獲鳥の夏』の事件とすると『邪魅』まででまだ1年ちょっとしか進んでいない。『百器徒然袋――風』を入れても1年半に満たない。想像を絶する事件が起こりすぎだ。
最後のページに京極夏彦作品一覧があり、『邪魅の雫』の次に『鵼の碑』と書いてあるから次の作品は『鵼の碑』という題名なのだろう。一番時が進んでいる『百器徒然袋――風』では昭和28年末まで大きな事件は起こっていない感じだったから『鵼の碑』では昭和29年の話になるのだろうか。とにかく楽しみ。

邪魅の雫 (講談社ノベルス)

邪魅の雫 (講談社ノベルス)