情報溢れすぎだけど画一化

同期や後輩と話すと「最近のニュースの話」をするとほとんどがYahoo!ニュースでトップを飾っている話題になっている。目にしやすいし興味をひくようなニュースがトップにあるのでクリックしてしまう。だから最近のニュースの話をしてもYahoo!ニュースのことが中心になる。
それでいいのかなあと思ってしまう。Yahoo!ニュースが全てになっている。そしてそのニュースで思ったことはそのニュースで書かれている論評のままになっている。シューカツをしている後輩は情報が大切だと思っていてかなりチェックしている。でも、それはYahoo!ニュースで多くの人が見ているからある意味知っていて当然の話題。それを知っていることは負になることはないと思うけど、そのニュースを読んだ考えが記者の書いた主張と同じになっているのはまずいと思う。完全に読んだまま吸収して自分で考えていることをしていない。
シューカツしている後輩は大体が同じに見える。Yahoo!ニュースを初めとしたネットのニュース見出しチェック。シューカツには日経だね、の言葉通りに日経新聞の購読を始める。うーん、セオリーといえばセオリーだけど完全にフツーのパターンにはまっている。共通するのは自分で考えていないこと。考えていないというか放棄している。シューカツ必勝本読む前にやることがあるのでは、と老婆心ながらに思ってしまう。なんだか周りに合わせてなんだかいいと思うからやってみる。昔流行った痩せる石鹸みたいだなあと思った。
だからみんな同じに見えてしまうときが多々ある。なんか、それでいいのかなあと思う。受け入れられる、受け入れられないは別としてもっと自分の考えを持てばいいのにと思う。そして付け焼刃で新聞読み始めたりしてもしょうがないのになあと思う。本当に新聞を読めない学生はいる。「なんかどうでもいい記事ばかりですね」と言っているのを聞いてびっくりした。それは必要な、自分が知りたいと思っている情報だけをクリックしているあなたからしたらどうでもいいかもしれないけど、それだけ実は世の中は広いということなんだけど。新聞には自分の興味のない記事もある。だけど今まで興味がなかったけどめくってたまたま視界に入ったことで興味を持つこともある。もちろん新聞を妄信するのはおかしいけれど、どうでもいい、ですませるのはとてももったいないなあと思った。
他人のことを言えたわけではないけれど、必勝本だの対策だのにむかう前にもっと一般常識ではないかと思った。新聞や本の読み方がわからないのに急に読んでも自分の中に入ってこないと思った。滝廉太郎種田山頭火の名を知らないと言われたときは結構ショックだった。基本の動作を学ばずいきなり実践をするように見える。
まあ専門性を磨くならそんなことは必要ないんですけど。ただ、それでいいのかなあとちょっと思う。学生の大半がお札の人が誰なのかわからなくなる時代もいずれ来るのか。来ないでほしい。