ありがとう、破壊王

授業を受けていた午後3時前に友達から「橋本が死んだぞ!」とメールが来た。「肩のリハビリをしているのにそんなわけがない」と思っていたが、ニュースサイトを見たら速報であった。
ショックだった。ずん、と体が重くなり、授業のことなんか頭に入らず、物凄い疲労感に襲われた。嘘だろ?
さらにその後いろんな友達から橋本が亡くなったというメールが来た。全員ネットで知ったというものだったが、妹からは「今テレビでやっていた」とメールが来た。
夜は実家から連絡があった。親父がラジオでちらっと聞いた程度だったから確認のために聞いてきたらしい。本当だと伝えたらショックを受けていた。


とにかくいろんなニュースサイトを回って橋本死去の情報を調べていた。映像のニュースを探してフジニュースネットワークで見つけたが、それでもまだ信じられない。


信じられない。まだ信じられない。


私がプロレス見始めた時は長州・藤波の時代は終わり橋本・武藤・蝶野の闘魂三銃士の時代だった。それだけに思い入れは強い。


入場曲「爆勝宣言」―イントロから曲の転調、それと同時に会場全体を埋め尽くす「ハッシモトコール」
今もまだ亡くなったということは信じられないが、「爆勝宣言」を連続再生で聞きながらこの日記を書いていると涙が出てくる。


個人的ベストバウトは負けてしまったが95年G1決勝の武藤戦。武藤と橋本の試合は質が高かった。試合中フォールに入った回数が3回だった緊迫した試合、お互いに新日本を出て他の団体の長として戦った試合と、シングル・タッグ問わずいい試合が多かった。
垂直落下式DDTは出たら「あーっ決まった」という説得力十分の技だった。プロ野球ノーヒットノーラン試合の記事を抜き、垂直落下式DDTで小島の脳天をマットに刺している写真が一面になったニッカンスポーツは未だに記憶に残っている。G1初制覇で山崎にかけた垂直落下ももちろん覚えている。とにかく出たら終わりの技、橋本の技だった。
複雑な事情が絡みなくなってしまった昨年の三銃士興行はやはりやってほしかった。


尊敬する人物は織田信長と言っていたが、まさか織田信長より早い年齢でこの世を去るとは思わなかった。
ちっちゃい頃からイタズラ好きのガキ大将、柔道部なのにケンカの時の得意技は目潰し、新日入門、闘魂三銃士IWGP連続9度防衛、Uとの抗争、不穏試合を含む小川との死闘、長州との遺恨、三沢と戦った超豪華なZERO-ONE旗揚げ戦と激しい歩み。
最近は肩の怪我・手術・リハビリやZERO-ONEフロント・選手との確執、私生活での噂などいろいろと負の面が大きかった。
でも、闘魂三銃士で輝き、破壊王として新日本の絶対的存在として活躍していた橋本を知るものにとってはそんなのは関係ない。レスラー人生全てが「波乱」だったのだ。波乱こそ橋本らしい。


ご冥福をお祈りいたします。
3カウント叩かれていないんだから橋本は負けていない
ありがとう、橋本真也
さようなら、橋本真也