3・11から12年

3・11から12年が経った。この日だけは自分が死ぬまで忘れないと思う。何が起きているのかわからず机の下に潜り、そして止まないどころか大きくなる揺れに死を感じ、そして揺れが収まった後はもう実家に帰れないのではないかと本気で思った。翌日以降の原発事故の報道ではもう日本がどうなるのだろうかと思った。その後行った被災地での瓦礫(とは呼びたくないが)撤去で現実をこの目で見た時の気持ち、そしてその作業から帰ってきて、東京の何もなかったかのようなネオンを浴びた時の気持ちは今でも忘れない。


あれから12年。今年もこの日が来た。12年前のことなのに今でもすぐに思い出せる。絶対に風化してはいけないし、自分はいつも災害時のことを考えるようにしている。
今年の14時46分は子どもたちと公園で遊んでいる時に迎えた。子どもたちは黙祷のアナウンスが出ても何のことかわからなかったようだけど、自分は子どもたちの分まで犠牲者の冥福を祈り、そして子どもたちの、妻の、実家、義実家の平和を願った。


ずっと忘れない。これからも少しでも何か力になれたらと思う、これは絶対に。