仕事上げご飯、家から食べるか?外から見るか?(引退騒動中女優の若き日の作品風)

自炊派。と、いっても部屋に調理器具は一切ない。皿とコップのみ。それでも家で主にご飯を食べる。昼はしょうがないとして、朝と夜は基本的に自炊。
朝はご飯+納豆とかふりかけとインスタント味噌汁。夜は朝まとめて炊いたご飯+納豆かスーパーの惣菜の揚げ物系。この朝と夜の食生活なら調理器具がなくても自炊派でいける。普段は一日の食費700円を守るようにしている。一度生活レベルを上げたらもう戻れなくなる、と自分に言い聞かせている。今のところこの食生活で十分満足している。納豆ご飯をやめて魚を一品追加するなどでバリエーションも変えているので楽しさもある。
暑いので最近はビール(のような味のする雑酒)をプラスしている。今夜もおいしゅういただきました。家でゆっくり食事。最高じゃないか。
社会ビトになったばかりでまだ酸いも甘いも知らないとはいえ、やはり難しくてわからなかったり自分の無能さが情けなくなったりするときもある。むしろ、そんな日ばかり。でも、そんなときでも、ささやかでも、食べて飲めれば明日への活力が湧く。社会の先輩達、まだまだふらふらしている新しい社会ビトだけど、それぞれそれなりに頑張っているんです。食べて、飲んで、同期と話して、そしてまた朝起きて微力をふりしぼって向かっていっているんです。それを認めろと強引なことは言わないけれど、知っていてほしい。
認めなくていいけれど、知っていてほしい。
魔女の宅急便の「おちこんだりもしたけれど、 私はげんきです。」というコピーが今多くの新しい社会ビトにしみる言葉じゃないかと思う。おちこんだりもする「けれど」私は元気。新しい、何も知らないからこその、「けれど」、の力。
「おちこんだりもしたけれど、 私はげんきです。」―マイナスの言葉の後に逆接がついてプラスの言葉が続く。これが無知だけど頑張ろうとする者の強みじゃないかと思う。
ペーペーは社会の先輩の本当の辛さはわからないかもしれない。社会の先輩はペーペーのもがこうとしている様を忘れたかもしれない。でも、お互いに辛いことがあってもなんとかして乗り越えようとしているのは間違いないはず。
社会の先輩も、社会のペーペーも、毎日「おちこんだりもしたけれど、 私はげんきです。」
今日もおちこんだりもした。けれど、俺は明日またげんきにいく。