『火花』を読んだ

話題になったピース又吉芥川賞受賞作品。
徳永と神谷のやり取りが意味不明だったり面白かったり無性に切なさがあったりと、物語の中心として強烈に置かれていた。
人物を見ても、神谷の生まれた時から芸人、一生芸人という無茶苦茶な生き方と、徳永の笑いに一生懸命で面白くなりたいと思いながらどこか冷静に俯瞰した目を持つ姿が対照的で、でもお互い重なると相性が良くてと、どちらにも惹きつける個性がしっかりとある。
序盤のまだこの先どうなるかわからないけど未来はあるという明るさから、終盤の段々と現実が見えてきて、やがて今後の道を見ていくというある種の暗さは、読んでいて息苦しさがあった。神谷のあほんだらな生き方も後半は痛々しくさえ見えた。
単なるお笑い芸人の話ではない、誰もが成長する中でぶち当たる現実とそこで感じる苦しさが書かれていた。
終盤のこの言葉がずっと頭に残った。
「必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう?一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。」

火花

火花