3・11

あの日、地震が起きた時は関東大震災が来たのだと思った。ところが、東京よりさらに強い揺れが東北で起きていた。地震が収まり身の安全を確認して、今日はどうしようと思った矢先にテレビで津波を見た。テレビの映像が現実の世界で起きているものとは思えず絶句した。その時は原発のことなんて全く思い浮かばなかった。ただただ実家が心配だった。電話が繋がらなかった。


それから少しして陸前高田といわきに微力の偽善ながら手伝いに行った。あの光景は一生忘れないと思う。片付けをしながら、出てくる泥だらけの写真やおもちゃ、食器を見て、マスクとゴーグルの下でこらえきれない感情が何度も沸き上がってきた。瓦礫とひとくくりにされるこの地に、確かに家族、生活があった。近くに見える海は、本当にこの町を全てさらっていったとは思えないほど穏やかで、不謹慎ながらキラキラと光る沖は綺麗だった。しかし波打ち際まで行くと屋根がいくつもあった。


今は毎週日曜の「明日へ」を見て被災地の過去と今を見る、手伝いの時に知り合った方から時々現地の状況を聞く、復興市場で少しながら協力する、の3つくらいしかしていない。行けていないが忘れることはないし思っている。言い訳になるが。


「家には帰りたいものだ」―この思いは誰だってあると思う。今の家、実家、故郷、どれだっていい。それが失われた時に、簡単に諦められるだろうか。私は諦められない。家に帰りたい。家に帰りたい。自分の家に帰りたい。
今もなお家に帰りたい人がいっぱいいる。今後も僅かながら協力していきたいと思う。