言葉は実態

ちょっと前に、最近の子どもはビデオテープを生まれてから一度も見たことも使ったこともないので、「巻き戻し」という言葉を知らないというのが話題になっていたけれど(今のHDDレコーダーだと巻かないし)、じゃあ小林明子さんの『恋におちて』の歌詞「ダイヤル回して手を止めた」という意味もわからないのだろうか。いや、多分知らないだろう。そもそも『恋におちて』を子どもが聞く機会がないか。


ダイヤル回しての「ダイヤル」って何?と思うはず。ダイヤルが何を指しているかわからないということは、この歌詞の、私をすぐに届けたくてダイヤル回した、でもその手を止めた、という心理、切なさ悲しさも伝わらないと思う。ボタンをポチポチ押して発信でも、電話帳からタップで即発信でもなく、ジーコジーコ(この音が死語か)とダイヤル回すあの動作とその回して戻っての間の時間、もう人類からこの時間と間の気持ちは失くなってしまったのだろうか。
なんともったいない。NTTさん、今すぐ全世帯に配布するんだ!(そういう問題では無いと思うけど)


モノ自体の変化だけではなく、嗜好やライフスタイルの変化でも同じようなことがどんどん起こっていくんだろうな。車離れが進むと、ドリカムのブレーキランプを5回点滅も「何それ?」になっちゃうのか。あんな良い曲なのにもったいない。「ポケベルが鳴らなくて」は既に埋没した一例か。


ちなみに、うちのレコーダーのリモコンの記載は、チャプター戻し、送りが「前」「次」で、旧巻き戻し、早送りが▲を横にしたのと縦棒の組み合わせだった。「人生は巻き戻せない」という言葉もあるけど、巻き戻しという言葉自体がなくなっちゃう。