温故知新

録画されていたドリフ大爆笑放送30周年記念番組を見た。亡くなった息子が忘年会を楽しみにしていたから親父が代わりに来たというコントは絶妙なブラック加減で見返してしまった。せっかく忘年会で盛り上がっているのに遺影を出してしまう親父。楽しみにしていた息子に見せたいという気持ちはわかるけれど、それをしたら芸をしているほうは辛いという画がいい。さらに切り替えて歌でも歌うかとなり「死んだはずだよおとみさん〜」と気持ちよく歌ってふと見ると遺影を持ちながら泣いている親父。これじゃあ盛り上がれない。う〜ん、ドリフ素晴らしい。
物心ついたときからドリフは流れていた。小学生の頃笑いながら見て、それから少し経つと「また同じのやっている」と思うようになった。
でも、小学校高学年になり中学生になるとそれを超えてますますハマッてきた。同じものの中に毎回新しい発見がある。計算された笑いと自然に見せるアドリブ要素。本当にプロがやっていると感じる。最近のお笑いではコント中に演者が後ろを向いて笑っている場面をよく見る。アドリブの一つだと思うけれど、それが見ている者の笑いを誘わせようとしているように感じるし、演者はそんなことする必要はないと思う。素人でも面白い人はたくさんいるのだから、プロの人がやっているという風に思わせる笑いが必要だし誰もが見たいと思う。
最近は企画物が多いから、セットでコントをするドリフが新鮮に見える。非常に有効に活用している。生の面白さも伝わってくる。セットにぶつけられて壊れる、というお決まりのパターンもよく見ると柱一本のぶつかり具合とそれによる全体の壊れ具合も計算されている。子供の頃は気付かなかった。ドリフのプロ意識と面白さを再確認した。
子供の頃見て今また見ているものといえばGyaoで配信しているナディアも面白い。子供の頃は冒険ってすげーみたいな感じでただ見ていたけれど、大人になって見てみるとまた違う面で見られる。
冒険活劇の部分はもちろん面白いけれど、それ以外にも「科学は人を幸せにするのか」「人の命とは」「戦争とは」という面が見えてきて考えさせられる。実は大人が見ても十分楽しめるのではないかと思った。「科学は人を幸せにするのか」「人の命とは」「戦争とは」のどの問いも難しく簡単には答えられない。子供の頃は気付かなかったけれどこんなに深い話だったんだなあと思う。多くの人を助けるために自分の命を犠牲にする乗組員の話があった。フィクションの世界ではよくある設定。でもナディアではその乗組員が自分が助からなくなった時に「こんなところで死ぬのか、俺はまだ死にたくない」と悲痛な叫びをあげて息絶える。綺麗事にしない。大人になった今でも見ていて辛かった。
昔のものっていいなあと思ってしまった。