巨人が頑張ってほしいと思う理由

巨人8連敗。さらにテレビ中継の視聴率がゴールデンとは思えないほどひどい。最近のこんな巨人関係のニュースを見ると親父のことを思う。
親父は巨人ファン。なぜ巨人ファンになったのかは聞いたことがなく、私が子供の頃から「テレビは巨人戦、以上」という状態だった(冬は冬でオフシーズン情報見ていた)。
だから毎年プロ野球が開幕すると我が家の夜の時間帯は巨人戦のみだった。他の番組を見ることは許されず、かろうじてCMの間に見ることができるくらいだった。チャンネル争いでもしようものなら雷とゲンコツが飛ぶ。泣かされたこともあった。なんて親父だ。子供すぎる。中継を延長しても試合が終わらない時は「試合最後まで見せないのなら最初から延長するなよ」と怒り狂いラジオをつけていたのも覚えている。
そんなわけで子供の頃から巨人戦を見続けていたせいか私も自然と巨人ファンになっていた。そんな環境だったので野球も始めたけど、残念ながら私に野球の才能はなく、親父の前でいいところを見せることはほとんどできなかった。そんな私を親父はどう見ていたんだろう。今でも実家に帰るたびキャッチボールをする。50過ぎてパンパンミットを鳴らす球を投げる親父、時々何も言わずに変化球を投げる親父を見て、ちょっと偉大さを感じる。
私は今は巨人ファンというわけではない。それほど野球中継を熱心に見るわけではない。それでも帰宅してテレビを着けるとついつい巨人戦を見てしまう。もう全ての選手を把握しているわけではないし、ずっと見続けているわけでもない。でも習慣でなんとなく体に染み付いているのだと思う。
妹が女の子なら誰もが通る「オヤジうぜー」な時期に入った時は、親父は反抗しつつもチャンネルを変え一人二階のテレビで中継を見ていた。試合に動きがあるたび上から騒ぐ音や歓声、罵声が聞こえたので見なくても試合展開はわかった。
そんな妹も家を離れ、家には親父とおふくろだけになると、巨人戦は見放題になった。だけどおふくろいわく「なんでもいいから一緒に騒ぐ人がいなくなったから前より静かに見るようになった」という。なんかその話を聞いたらこっちまでさみしいような申し訳ないような気がした。実家にずっといるという状態にはこれから先しばらくないと思うし、もしかしたらもうないかもしれない。家で風呂あがりのパジャマ姿でビールを飲みながら巨人戦を見る親父を思い浮かべた。今は横に私はいない。
野球と巨人戦が趣味の少ない親父の最大の楽しみなのに、その巨人に全くいいところがない。親父も開幕の頃は毎日楽しく見ていたと思うけど、今は毎日文句を言いながら布団に入っていると思う。最近は延長すらしなくなってきているから余計つまらないと思う。
今年の夏実家に帰ったらまたキャッチボールをするだろう。ビールを飲みながら一緒に巨人戦でも見るかな。
だから巨人頑張れ。