わけわからん

大学生の退学、休学、留年が増え続けているという記事を読んだ。部活やサークルに没頭して休学や留年するのではないという。そっちのほうにのめりこんで留年するというのは私は個人的に悪いことではないと思っている。本気でそれをやっているならだが。
退学、休学、留年を減らすための大学の対策が書かれていたが、全体の印象としてはとにかく手取り足取り。やりすぎだろ、と思った。
ルールを教えたりレポートの書き方講座開いたりと、もう大学生なんだからそれくらい自分で考えてなんとかしろよ、と思う内容。
学力低下だかなんだかで高校の内容をもう一度やるところもあるらしいけど、それやったらもう「大学」ではないと思う。そこは絶対にやるべきではない。そしてそれに学生も頼ってはいけない。私は受験が終わって怠けて遊び、大学入って最初の1ヶ月えらい目に遭ったが、そこは友達に聞いたり自分でどうするべきか考えたりして乗り切った。それらの過程を大学側がやるべきではない。大学生は自分で考え生きていく存在なのだから、そこを大学が助ける必要はない。大学は多少素っ気無い程度の対応がちょうどいいと思う。
さらには成績不振な学生には保護者に連絡することも一部で行っているらしい。親がテスト受けるわけじゃないし、18過ぎた子供が親に「勉強しなさい」と言われて素直にやるわけがない。おしめ取り替えてもらってから18年、もう自分のケツは自分で拭けるはずだから連絡なんてしなくていいだろ。
学業にかかわらずいろいろなことで問題に直面したら自分で処理するのが大学生として当たり前だと思う。大学全入時代がまもなく到来する。今でも多種多様な入試制度がある。といっても実態は大学側が定員割れにならないよう早く学生を囲い込みたいだけだと思うが。「大学行くのが当たり前」な時代に見られているが、学費を払う親の立場になったら決してそんな単純なことではないと思う。一種の「投資」だから、そんなに簡単にベットできないはずだ。
大学に入ったらもう完全に自己責任でいいと思う。


ついでに企業は大学院教育に期待はするが、修士修了生の採用や人事面の配慮はしない、という傾向が強いと書かれている記事も読んだ。
欧米企業の考えとあまりに違いすぎる。これでは教育の意味がない。学生側と企業側のズレが大きい。
「理系は使われる立場だ。俺は使う立場になりたい。」と言って文系に行ったという三木谷少年。社長になった今、その言葉は三木谷社長にとって正解となり、未だに理系は使われる立場となっている。使う有能な人がいないと機能しないが、根幹のものを作っている人をもっと重要視してほしい。「技術大国ニッポン」と海外から言われているが、国内の評価はそうでもないということがわかる。
生まれて育った国のために底辺の底辺でもいいから技術で貢献したいと思っているが、こんな状態では真剣に海外に行って働きたい、勝負したいと考えてしまう。