苦しいけど楽しい

最近何足もの草鞋を履いていている状態。睡眠大好きで睡眠時間はしっかりと取りたいから、基本的に徹夜はしない。だから起きている間はかなりせわしなく動いている気がする。
いろんなことをやっているが、どれも苦しいけど楽しいから充実している。「苦しいけど」楽しい、ということが大切なのではないかと思っている。ただ楽しいのではここまでの充実感も長続きもしないと思う。苦しい、という要素があるからこそ、そこを超えた時に得られるものがものすんごいいいものに感じられる。そして次きついことが来ても頑張ろうと思える。
複数のことをやろうとすることが苦しいし、個々の事柄も責任や体力などで苦しい。でも充実。若い頃は苦労は買ってでもしろと言うが、いいことを言ったものだ。買う金はないが。
研究は、グラフィックだとまだ甘いと思っていたものが、数値的に見ると実はかなり信頼性の高いものだということがわかり嬉しい。0から始めたわが子のようなものがある程度の範囲で高精度なのはやっていてよかったと思える。
最近はかなり練習のほうに傾いている感じだ。ガチでアホになってきている。授業中や別荘にいる時に「ここをこうすればいいんじゃないか」「昨日のあれはこうすればよかった」などと現役の頃のように考えてしまうあたりが社会復帰できていないと思う。
授業は本当に嫌だ。興味があるやつは多少理解しづらい部分があっても面白く受けられるが、そうでないものは本当に苦痛。レポートはやっつけ。自主休講もしてしまう。早く授業に行かなくてよく、研究なりなんなり自分の関心のあることに時間を使えるようにしたい。
どの草鞋もいい草鞋だ。大切に履こう。