あっという間の4年間

まさにそんな言葉がぴったりだろう。部活という一つのことをずっとやってきたせいでそれのみであっという間に過ぎた。卒の論よりも強烈だ。
入学当時は非常に真面目な少年だったんだけどなあ。入学式の始まる一週間くらい前から一人暮らしを始めた。その頃は新しく始まる世界と生活に胸ときめかせていた。


とりあえず実家はTBSが映らない地域だったので、ひたすらTBSを見ていた。筋肉番付では「これがケイン・コスギか、すげえな」と思い、「ガチンコ!」では「すげえ企画ばっかりだな」となぜ話題になっているかがわかり、ウンナンのホントコ!の「未来日記」では号泣した。今となっては全部終わったけど。
生活リズムなんて模範学生だった。6時半にセットした目覚ましが鳴る前に起きた。今では信じられない。6時28分とか直前に起きて目覚ましを止めて布団からすぐに出て朝食の準備をする。同じ俺とは思えない。


料理も最初は「すぐできる!簡単レシピ」とか「節約料理!」みたいなタイトルの料理本を買っていろいろな種類のおかずを作ろうと頑張っていたんだけどすぐに挫折。同じもの毎日食べても飽きない体で本当によかったと思う。


学業については、初めは結構緊張していた。こんなテキトーな性格なのに大学といえば未知の世界、高校なんかとは比べ物にならないくらいハイレベルな所だと思っていて、「授業についていけるのだろうか」なんて今となっては笑っちゃうようなことを考えていた。
実際授業が始まると最初は面食らった。わかんねえ。数式が飛び交う。そして授業時間が長い。やっぱり場違いかなと思っていたが、一週間もすればすぐ慣れた。合格決まってから勉強していなかったからわからないしついていけないのは当たり前だった。
実は初めは予習・復習もしていた。寝る前に今日やったことをノートをめくって復習し、明日の授業科目の予習をちょっとして寝るという有り得ないことをしていた。
そんな予習・復習も大学生活に慣れてしまうとすぐにやらなくなる。友達といかに効率的な時間割にするかを考え、1・3コマになっていたら、どうにか3コマの授業と同じようなものを2コマで見つけそれを履修し、昼休みから空きにしたりした。
部に入ると予習・復習はおろか出席すら微妙になってくる。友達や部の先輩の情報で取りやすい科目を選んだ。自由に授業が取れるから自由に取った。それでも万葉集とかちょっと気になるものは飛び飛びでも取った。


自分で興味があって取った授業はやっぱり面白かったが、「卒業のために必要な単位」のために取る授業はどうしようもないものもあった。そりゃ自主休講もする。
学費出してもらっている親には申し訳なかったが、もうその頃には「くだらん授業に嫌々出るくらいなら自分の気になることをしたほうがいいや」と思っていたので、自主休講を頻繁にしていた。授業に出て寝たりおしゃべりして授業受けたい人の意欲削ぐくらいなら行かないほうが迷惑かからないし自分にとっても無駄な時間が減ると思っていた。


小〜高と朝早く登校し、夕方・夜に下校という決まったパターンだったので、平日午前・昼の街の姿を見たことがなかった。それが非常に気になったので自主休講した時間はそういう興味のあることにあてていた。
これまた平日の街の姿は面白い。年配の方や主婦が多いのかなと思っていたらそんなことはない。いろんな年齢層の人がいる。店に入っても午前中だからガラガラということもない。ずっと学生をやってきたものにとっては本当に不思議だった。平日の午前でも活気付いているところは活気付いている。
小学生や中学生が普通に歩いているのにもびっくりした。調子が悪くて早退というふうでもない。それに対して周りも全然気にしていない。これも不思議だった。最初は昼にコンビニで立ち読みしている小学生が異質なものに見えた。今は私も慣れて気にならなくなってしまった。
そんな光景はどの大人も気にしないのに、大学生(=私)が公園のベンチで昼寝をしていると非常に不審な目で見られる。これはどういうことなのだろう?それも段々気にならなくなってすやすやとお日様の下で寝るようになったけど。


そんな自主休講ライフになってけど、入学前は皆勤賞を狙っていた(そんなもん大学にはないが)。中・高と皆勤賞だったので、この勢いで大学も、と思っていたがそんな思いはどこへやら。いつも前期・後期の授業が始まるたびに真面目宣言して自主休講しないようにするが、結局自主休講してしまう。


今部屋の整理をしているが、昔使った教科書やノートが出てくる。
最初は授業で指定された教科書を言われた通りに買っていたが、教科書がバカ高いことと、指定したのにそんなに教科書使わない授業もあり、教科書買うことに疑問を持ち始め1年の後期からは本当に必要なもの以外買わなくなった。授業もシラバス見て「教科書は使わない」と書いてあるものを優先して取った。同じ科目なのに教科書買わせる先生と教科書使わない先生なら普通後者を取るだろう。教科書の変わりに自作のプリントを配布するので、その先生がやることがダイレクトに伝わってきてわかりやすかったと思う。
教科書は学年上がるたびに買わなくなっていったような気がする。将来やりたい分野や専門分野で面白そうなのは教科書買った。今考えても教科書は高い。将来使わず半期で終わる授業のために教科書買うのはもったいなさすぎる。MOTTAINAI。買った教科書は今も使っているし非常に役に立っている。もしかしたら買わなかった教科書の中にもいいやつはあったかもしれない。そう考えるとちょっと損をしたのかもしれない。
ノートを見ると「コイツすごいことやってんなぁ」とまるで他人のように思える。今は使っていない専門分野の授業のノート見ると、複雑な数式が長々と書いてあって自分がノートとったとは思えない。専門用語も書いてあるが、今となっては思い出せないものもある。実はすごいことをやっていたんだろうか。それにしては使っていないし役立てていない。
今専攻している分野の昔の授業のノートを見ると、簡単な所でも数式や解釈を間違っていて情けなくなる。他よりもわかっている分野だからそう思うのだろうが、パラパラめくる程度でも見つかるんだから、きっとその頃は全然理解せずただ取っていたのか、半分寝ていてうとうとしながら書いていたのだろう。
そういう昔を思い出しながら整理しているから全然はかどらない。


大学に行くことを認めてくれた親に感謝しないと。4年間真面目にやってきたという報告はできないけど。よく大学に行かせてくれたものだ。さらに院への進学も認めてくれた。
前に「進学してさらに学生継続してすみません」と言ったら「何の間違いか無試験で試験通れるなんてラッキーじゃないか。まあ先行投資だ。不良債権にならないといいけどな」と笑って言っていた。天の邪鬼親子。息子に投資しても回収できないぞ。感謝はするが真面目に生きるのは無理だな。


結局大学生活は当初思っていたものとは全然違うものになった。学校に行って多くのことを学ぶことなんてない、と個人的には思う。
たぶん今頃4年前の自分のように大学生活に胸ときめかせている18の少年がいると思う。まあ絶対思ったとおりの大学生活にはならないっしょ。
進学してあと2年学生やるが、さすがに「朝目覚ましが鳴る前に起きよう!」とか「予習・復習を毎日しっかりやろう!」なんて思わない。これは退化か進化か。
学生という身分に甘えるがやる時はしっかりやろうと思う。これまでそれでなんとか地には落ちなかった、はず。とりあえず不良債権にはならないようにしないと。