最初から今まで

多少寝坊するも午前中病院に行く。中から外に出ていた糸を切ってもらい消毒。前から「変なかさぶただなぁ」とは思っていたが糸だったか。
手術箇所の痛みは減ってきたものの、そこから少し離れた箇所が痛い。いつものように「ここ?ここ?」とグリグリ押されたりポンポン叩かれたりして痛みの箇所を調べられる。もう痛くてしょうがない。「あへっ」と変な声出してしまった。
メインとなる部位は手術したから、あとは今痛い部位がどれだけこれからよくなるかが問題で、最悪そこをパカッと手術するらしい。とりあえず3ヶ月から半年経過を見ていこうということで、月1で通うことになった。マジでこの痛みがなくならないと辛い。手術終わったら痛みが完全になくなって2月頃から練習に行けると思っていたのに最大半年か・・・現役の頃に手術しなくてよかった。
あの頃はアホ真っ盛りだったから首からくる手の痺れと腰からくる足の痺れで全身痺れていたけど練習していた。自分のことながら絶対に頭おかしかったと思う。狂っている。その怪我もヘルニア寸前でヘルニアにならなかっただけよかった。後遺症は今もあるが。ヘルニア二冠王になっていたらやばかったな。
やりたくてもできないのは辛いが、今はじっくりと治そう。部活は引退したが、競技者としては引退していないし一生続けていこうと思っている。
病院終わって別荘に向かっている時はさらに寒かった。雪が降っていた。原付にこれはきつい。全身凍りそうだったが、別荘に着くと暑すぎていつものTシャツ姿に。
教授の「気に入ったのがあればどうぞ」のメッセージとともに、カレンダーや手帳の山が共有スペースにあったので手帳を一つ貰った。今まで手帳なんて持ったことなかったが、「2005年はスケジュールいっぱいで時間に追われる男になろう」ということで持つことにした。
普段のスケジュールは携帯のカレンダー機能を使っているのでそこから手帳にスケジュールを書く。近いスケジュールはバイトとコンタクト変える日しかない。あまり手帳持った意味ない・・・
卒の論の書式の説明文書がボックスにあったので軽く見てみた。まだ全然できていないのにこんなのが届いたか・・・
夕方バイトの場所の下見に行く。行ったことがない場所なので事前に地図で念入りに調べてから行くもやはり迷う。その都度地図開いてなんとか行けた。
方向音痴にとって緩やかなカーブや一方通行は敵だ。緩やかなカーブはいつの間にか進んでいる方角が変わっていて勘違いしやすいし、一方通行は帰りに同じ道を通れない。まぁ遠征で京都や北海道行った時に碁盤目状の道でも迷ったんだけど。あれはあれで全部同じ道に見えてわからなくなる。
方向音痴にとっては現代社会は住みにくい。