「無敵のハンディキャップ」

みちのくプロレスのフジタ”Jr”ハヤトのデビューの時にドッグレッッグスのことを思い出し、すごく気になったので、ドッグレッグスのことについて書いてあるノンフィクション作品の「無敵のハンディキャップ」を本やタウンで予約し、入荷されるなり一気に読んだ。
第1章の8ページを読みかあぁっと体が熱くなりこみあげてくるものがわかった。それからはもう完全に本の世界にのめりこみ読んだ。この本の中に書かれている試合、それぞれの普段の生活、そして著者の書き方、全てに感情が剥き出しで出ていて熱く、まさに全てが「プロレス」だった。文句なしに面白い。感動した、と書くとお涙頂戴のドキュメンタリーと思われるかもしれないが、確かに感動した。しかしそれはお涙頂戴だったからではなく、個々人の生き方、主張、苦悩、恋愛、矛盾と全てが飾り気なく純粋に書かれているからだ。もちろん感動だけではなく、笑いの場面もいっぱいあった。ボランティアの善意に過度に甘え続けたり、酒に溺れる、出社拒否など、本当に情けないなぁと思うところもあった。シビアな現実も書かれていた。寿命の話になり、夫が妻に「あぁとぉ、じゅうねぇんもぉ、いきぃなきゃ、いけぇなぁいのかぁ」「いきぃるのもぉ、つかぁれたぁよぉ」という言葉は本当に重かった。フジタ”Jr”ハヤトの父がドッグレッグスに入団する時の話の章では、小学校1年生の頃のフジタ”Jr”ハヤトではなく「藤田勇人」が出ている。この父にしてこの子あり、と思うくらいプロレスへの情熱が強かった。
成功していくことだけを書いているわけではなく、他のボランティア団体からの見せ物だという批判を受けたり、選手が怪我の恐怖を吐露する場面、健常者よりも衰えが早いことによる将来への不安も書かれていて、私の知らない世界がとても多く書かれていた。コンサートなどの発表会のニュースが出ることはあるが、それは陽の部分(ドッグレッグスでいえば試合)で、陰の部分についてはほとんど知らない。就職の困難さ、就職しても一ヶ月休みなしで働いて2万円という給料の人がいることなど、知らないことが多く書かれていた。正直ショックだった。こんなにも現実というものは重いのだろうか。障がい者差別は確かに存在する。
読む前に疑問に思っていたなぜドッグレッグスという名前の前に「障害者プロレス」と入れるのか、なぜ障害者対健常者の試合をやるのかについても書いてあった。
障がい者と健常者は本当に同じなのか。「障がい者だって頑張ればなんでもできる」と謳っているのに、雇用、賃金などの面でははっきりとした違いがある。そんな矛盾だらけの現実がある。それでもお互いに感情を剥き出しにした時にその境をこえた同一になるのか。簡単にどちらだとは言えないし常に揺れることだと思うが、この本を読むと一人一人に一瞬でも答えは出るはずである。
読み終わった後で考えがうまくまとまらないのと、私の稚拙な文章表現では全然伝わらないと思う。それでも伝えたかった。ぜひこの本を多くの人に読んでほしい。腫れ物を触るような感じとか重い気持ちで読もうとしなくていいと思う。たとえそんなことを考えていても読み始めたらそんな考えはすぐになくなりどんどん読めていけると思う。五体不満足とは違う形のノンフィクションであり、五体不満足を読んだだけでは絶対にわからない世界が見えてくる。
といっても重い内容ばかりではない。出てくる人物はユニークで面白く、それぞれにドラマがある。一人一人のエピソードが強烈だ。また、著者も既存のボランティア団体、自分自身などと「闘って」いる。親父が昔「発表会しても親と関係者だけしか来ない発表会ならやらないほうがいい」と言っていた。それを聞いた時はなんでこんな冷たいことを言うのだろうと思っていたが、今は言いたいことがわかる気がする。矢野慎太郎が言う「どうじょうの、はくしゅは、いらないのですね」がその答えの一つだと思う。
私を含め多くの人がまだ障害者のこと、世界について知らない。日本人の障がい者理解なんて、本当に上っ面だけなのだ、と著者は言う。この本を読んだからと言って全てがわかるわけではないが、少なくとも意識されていない、見て見ぬふりをされている世界を知る機会にはなる。そして思っている障がい者像が絶対に変わるはずである。
うだうだ書いたが、一つの作品としてとにかく面白い。多くの人に読んでほしい。軽い気持ちで。
そして読書に熱中して今日も研究が進まない。