もう一つのPRIDE男祭り

2004年大晦日、人類60億分の1が決まった日だった。ヒョードルノゲイラ、勝者と敗者は決まったが、どちらも間違いなく世界トップレベルだ。死力を尽くしお互いのプライドをかけて戦った。
その試合はテレビでニアライブ中継され高い視聴率を取った。
そんな壮絶な試合が放送されている時に、日本の片隅ではもう一つのハイレベルな試合が行われていた。
メインのヒョードルvsノゲイラが放送される前のCMでトイレに行かなかった男がその試合の主人公。
人類の60億分の1を決める試合が始まって2、3分経った頃、彼はものすごい便意に襲われていた。「なんでCMの時に行かなかったんだろう?でもあの時は1R10分くらいなら我慢できそうだったしなぁ」と心の中で考えながら試合を見ていた。
試合が白熱するに比例して彼の便意もヒートアップしていく。「大晦日だし出しちゃってもいいんじゃね?」「いやいやどう考えてもそれはおかしいだろ」と理性を失った彼となんとか道を外れないようにする彼が必死に戦っていた。
二十歳を越えた大人がテレビに夢中になってトイレに行けず大きいほうが漏れそうになっている。本当にギリギリの勝負。ヒトとしてのプライドがかかっていた。
ノゲイラを応援していたので、スタンドでノゲイラが打撃をヒットさせると「おし!」と声を上げるが、それと同時に便意が腸をヒットし、「顔」がスタート地点に上がってきた。グラウンドにあまり付き合わず立とうとするヒョードルを、なんとか寝技でしとめようとするノゲイラの動きに力が入った。しかしその行為は「顔」をスタート地点に上げようとする腸の力にもなった。
1R彼が耐えられるか、それとも寝転がった姿勢で便意のパウンドを浴びてヒトとしてKO負けをしてしまうのか、本当に、本当にギリギリの線だった。冷静に考えたら見ながら録画しているのだし、トイレに行けばいい。しかし結果を知らずに見ている今、彼にとってその選択肢はなかった。我慢してラウンド間にトイレに行くか、我慢できずにその場に漏らすか、そのどちらしかなかった。自分の体なのにこうも制御が利かないものかと思った。精神的にかなり追い詰められていたせいか驚嘆さえしてしまった。地球に乾杯。
「えっ、別に漏らしてもいいんじゃね?こんなにきつい思いしてまで我慢することないじゃん」という悪魔の囁きが聞こえる。「あれ、そうだよね、いいんだよね、もう今年も終わるし」とわけのわかんない結論と「顔」が同時に出そうになる。しかしヒトとして、ヒトとして、なんとかそこを耐える。ノゲイラも必死に頑張っている、じゃあ俺も全力を出そう。いやいや出してはいけない。
そんな葛藤が続く中、ノゲイラヒョードルにとって、そして何よりも彼にとって救いのゴングが鳴った。
「1R終わった!」すぐにトイレに行きたいが、もう「顔」がスタート地点にセットされているので、走ることはできない。自分にとっての花道をゆっくりと歩く。こんなにも我が家は広いのか、そしてこんなにも「耐える」という行為は辛いのかと思った。練習中に絞められて目の前が白くなったことは多々あるが、日常生活で目の前が白くなるとは思わなかった。「パトラッシュ、僕なんだか眠くなってきちゃったよ…」―そんな気持ちになってしまった。
精神が肉体を凌駕したのか、なんとか到着。そして彼の試合はそこですぐに終わった。彼の頭の中にも「アメージング・グレース」が流れた。人生は素晴らしい、幸せは見えないだけですぐそこにある、そう思った。漏らさなかった。我慢できた。人類60億の中になんとか留まるできた。清々しい気分で居間に戻り、2R以降を見ることができた。
晦日、あの試合の裏で、それに勝ることは絶対にないが劣らない試合が日本の片隅であった。
長々と汚い話をしてすみませんでした。しかしこの話は全て実話である。