ふるさとが 風と匂いで 「おかえり」と

夜中の3時に出発。昨日の日中は37度なんて騒がしい気温を叩き出していたけど、さすがに夜中の3時は落ち着いていて、軽快なスタートを切ることができた。


いつものコースで高速に乗り順調に走っていたところ、埼玉あたりで雨が降ってきた。そういえば出発地と到着地付近の天気は調べていたけど、その間の天気はあまり調べていなかった。
それでも夏の小雨なのでちょうど気持ち良く、夜中に出発するという非現実感がもたらす妙な高揚感をクールダウンしてくれた。焦らず落ち着き前も後ろも視野を広くしてアクセルを握り夜の高速道路を走っていった。


途中給油休憩を一度挟み、さらに東北道を進んで8時前に一関に着き、そこの一関ICで降りて近くのコンビニで朝食を摂った。いつもならここで降りるなんてことはなく、そのまま進んで北上JCTで秋田道に入るが、今回は陸前高田に寄ってみたく途中で降りた。


342号線から19号線に入り、さらに343号線、340号線と山の中の道を進んで陸前高田に着き、そして奇跡の一本松を眺めた。陸前高田に向かう間に結構強い雨になってきて、奇跡の一本松はどんよりとした灰色の景色の中にあった。
2011年の震災の時に瓦礫撤去の手伝いをした場所で、1年後の2012年に1年間の状況を見たくて行った場所が陸前高田だった。
瓦礫撤去をしていた時に、そこに住んでいた人たちの生活の証を集めている行為に「瓦礫」とは付けたくない気持ちになった。そして昼休憩中に防波堤から眺めていた海がとても穏やかにキラキラと輝いていて、本当にこの海がこの土地を襲ったのだろうかという気持ちになったのを今でも覚えている。


そういうことがあっただけに、陸前高田はずっと気になっていた。ボランティアとしてではないけれど、2017年現在の姿をしっかり覚えておこう思い足を向けた。
2017年の奇跡の一本松がある付近は、変わっていたしまだ変わっていない遠さがあった。周辺の道路はトラックなどの工事用車両が多く走っていたが、一本松カフェといった人が集まる場所ができていて、新しく動いている気配を感じた。一方で、確かに瓦礫はなくなり綺麗になったけれど、そこに新しい生活の色は感じなかった。
今年たった一度来て少し見ただけの印象なので恐らく実態とは全然違うことを言っていると思うが、2011年を見た者としては、やはり復興というのは相当遠いと感じ、気持ちも落ち込んだ。
でも、でも必ず東北はまた復興してさらに美しい地域になり、日本の中で一番自然と共に気持ち良く過ごしていける場所になると思う。東北に生まれて東北で育った自分の考えなのでものすごい思い込みが入っていると思う。でも東北はまた美しく輝いていくと思う。本当にいいところだからね。


陸前高田を見た後は道の駅みずさわに行って道の駅を堪能して、そこから再び高速に乗り今度はそのまま実家へ帰った。到着は13時半。陸前高田あたりからは雨の影響で足回りを中心にドロドロになりながらも元気に約800kmを走ってくれたTRACERに感謝。なんだかどんどん快適になってくれていっている気がする。


帰宅してそうめんをすすり軽く昼寝をしてからTRACERの洗車。2時間くらい経つとちょうどバイク自体の熱も冷めていてじゃぶじゃぶ洗えた。
洗車が終わったら水気取りを兼ねて眼科まで走り、眼科の診察を受けてから寄り道せず帰宅し、家で夕ご飯。生まれ育った場所に帰れて、そこでご飯を食べられるというのは幸せなことだなあ。
帰る場所があって、お腹いっぱいご飯が食べられて、贅沢を言うとおいしいお酒を笑顔で飲める、これが大変、大変幸せなことで、人生はこういうことのためにあるのではないかと最近特に強く思う。
秋田が好きだ、実家が好きだ。


高速を除けば岩手と秋田の下道を走ったことになるけど、やっぱり秋田は秋田独特の風と匂いがある。岩手には岩手の田園風景やのどかな集落の姿があるけど、秋田に入ると「あ、これ秋田だ!」と感じるものがった。
知っている風景を見たからというわけではなく、視覚でも聴覚でもない、嗅覚と風に触れる触覚がふるさとを強く覚えていた。ふるさとが染みついているというのはこういうことなのかなと思った。
電波少年ヒッチハイク企画のようにアイマスクとヘッドホンをされていろいろ連れ回されても、秋田に行った時は「あ、ここ秋田だ」と言える自信がある。そんなドッキリは絶対に自分の身には起こらないけど。


やっぱり秋田が好きなのよ。