薄味よりも特濃希望

GW初日からもう1週間以上経っている。ええー!嘘ぉぉぉ!
あんなに楽しく、ふるさとがますます好きになったGWがどんどん遠くに行っていくようで悲しい。


またいつもの生活に戻り、朝起きて洗濯をして、朝ご飯を食べて、会社に行き、いつものように不毛なことに巻き込まれていく。
そんな”普通の”生活をしていくことでGWの思い出が薄れていく。生活のために必要な日常生活をしていくことで麻痺し薄れていく。なんだかそれがすごく怖いし行き所のない不安に包まれる。


GWみたいな生活はずっとできるわけじゃないから、GWのことは少しずつ薄れていくのは当然だと頭ではなんとなく理解しているけど、それでも怖い。まるでふるさと秋田のことまで忘れて薄れていくのではないかと感じるからな気がする。


冷静に考えるとそんなことはなく、自分の秋田への思いは変わらないし薄れてなんかいないと確信している。だけど、時が過ぎてGWの秋田でのことが少しずつ遠くなっていくことが怖いしさみしいし悲しい。まずは普段の生活をしっかりやらないといけないけど、その日常を過ごすことで思い出が自分の意識の底の方に沈んでいく。そのジレンマが原因だと思う。


18で外に出てから帰省はあるけど住み続けるということはしていない。それでも自分の根っこには秋田があるし足元にも足跡にも心にも、そして「いつか」にも秋田があり続ける。戻ってきていなくて口だけだと思われるかもしれないけど、それでも自分の中ではしっかりと故郷への思いがあると言える。


もっと大人の分別があり、社会にきっちり適応できている人ならこんな変な悩みは抱えないんだろうな。精神がいつまでたってもあの頃のままだからこんなことをぐるぐるぐるぐると考えてしまう。
でっかいピーターパンは大変だ。